‘ndl’ Category Archive

—–
この日記はアーティスト・イン・レジデンス”ndl”でプーケット滞在中に書かれたものです。
ndl
—–
南千住にある大きな神社で、5バーツと5香港ドルと5円を賽銭箱に投げ、お参りをし終えたあとはベンチに座りタバコを吸っていた。6時頃、散歩の途中なのかタオルを首にかけたおじさんとおばさんが何人も通り、お参りをしては立ち去って行く。7時前、浅草は浅草寺に着き、再びバーツと香港ドルと円を投げ入れお参りをし終え、またベンチに座りタバコを吸う。まだどの店もシャッターが閉まっている仲見世通りを自転車を押して歩き、吾妻橋の方へ向かって富士そばに入る。天ぷらそばとミニカレーのセット、カレーに具はほとんどなく、そばにコシは全くない。隅田川に望む公園へと向かう途中、天気雨が降っていた。人通りは多くない。
花壇に縁に横になって寝る男性、新聞を読む男性、川を見る男性、何もしない男性、いわゆる中年男性だらけの中、荷物を置いてボクがやることは川を見る事だったが、一つ思い出していたのはいつだか日記に書いたダンスのことだった。正確に言うと、いつだか撮影したダンスのことをどのように日記に書いたのか、ということで、それは8月17日の日記だった。
—–
それはそうと、ダンスを見ただけではなく、水上バスの上ではタイに来る数日前に撮影した、隅田川の水上バス内で行われたダンスパフォーマンスのことを思い出していて、あれから何日たったのだろうかと計算したりもしたのだが、思い出していたパフォーマンスはそのときのものではなく、7月に催されたものだったことに今気づいた。川の上が涼しいことに気づいたのは陸の上に上がってからだったが、記憶は思い出されたときの雰囲気を伴って強固な思い出になっていくとしたら、何も思い出さない人ほど事実としては正確な記憶を持っているのかもしれない。ボクがやっているのはその逆で、正確な事実から遠ざかったフィクションを作るために、思い出をノンフィクションで幾度も書くのだと言ったら、この日記の信憑性を失うだろうか?
—–
3時間は長くはなかった。ただ汗やいろんな分泌物が体から出過ぎていて、せめて顔だけでも洗いたいと、10時頃、スタバへと移動した。日記を書こうとパソコンを開くが、文が全く進まなくすぐに閉じた。カプチーノのトールを飲みながら小説を開く。小島信夫の短編集の裏表紙には「かつての作品の引用から、実在する家族や郷里の友人らとの関係のなかから、ひとつの物語が別の物語を生み出し、常に物語が蔵宿しつづける〈開かれた〉小説の世界。〈思考の生理〉によって形造られる作品は、自由闊達に動きながらも、完結することを拒み、いつしか混沌へと反転していく」と書かれている。
浅草から隅田川沿いを走り、南千住に出て日光街道を北に、墨堤通りに入り西新井橋を渡って荒川に沿って西に、家に着くまで普通なら1時間、30日の夜から横になって寝ていない体は相当疲れているのか、タイでモトに乗っていたから足がなまっているのか、2時間近くかかって家に着く。

鍵は閉まっていた。バックパックから取り出した鍵を入れていた袋の中に、自転車の鍵が見えた。いままで使っていた自転車の鍵は、ボクがブリ子用に用意した合鍵をブリ子から渡されたものだった。ドアを開けてまず見えるのはスーツケース、右側には階段が伸び、段に合わせて造った本棚には隙間なく本が詰められていて、そこを昇って左手にドア、天井の高い六畳くらいの一部屋はドアの逆側に小さめの窓があり、右手の壁にはテレビと二つのスピーカとミキサーが乗った机。机の上にはA4の紙に赤字で手紙があった。左の壁にはロフトへ昇るための梯子、その横のキッチンに続くドアを開けると空のペットボトルが4本、ドアの横にはゴミ袋、シンクにヨーグルトのパックとスプーン、フライパンには水がはってあり横にはコーヒー牛乳のパック、キッチン横の洗濯機の中にはジャージとTシャツ、冷蔵庫の中にいくつかの食材。ロフトにある布団の横には本棚に入れてあったマンガ。

16時頃、家について間もなく友人から電話があり、東京に来ているというのでシャワーを急いで浴びて再び自転車に乗るが、昨日の夜に乗ったときの不安定さはもうない。上野に着くまでの15分ほど、乗り馴れているはずの常磐線に未だ旅行気分のまま乗っていると、タイのことではなく実家のことが思い出された。初めて上京したときの戸惑いに似たものが、電車を降りて目的の改札はどっちかと探している間にやってきて、もちろんそれもすぐに消えるのだけれど、ボクはまた家の対概念としての旅行のことを考えていた。一年ほど前まで頻繁に使っていた喫茶店に入り、タイのことを話す。思い出になっていくスピードは思いのほか遅く、タイのことはまだ話す度に中身が変わる気がするが、この喫茶店は懐かしく一年前のことを話せばいつだって同じ内容になるだろう。
家についたのは0時を回ってから、それからこの日記を書き始め、今はもう3時になる。タイのたばこがなくなった。おしりに栓抜きがついたタイのライターはまだ使える。これからボクは寝る。

母親から手紙が来ていた。
—–
お帰りなさい。この手紙が届く頃には帰国している頃と思います。タイはどうでしたか……?良い経験が出来た事と信じていますが……8/16には無事に維(英妙)の得度式が行われました。多くの檀家さんと信者さんの集まる中で厳粛に行われました。あのんも維が出て来た時にはびっくりで声も出さずにいましたが10分程でパパと楽屋に退散。私も着物(和服)など着て涙の母という場面になるか……?それは周囲の人々が思っていた様だが私の涙はとっくに涸れていたのでそれよりは維がいつこの場で「やっぱり罷(辞)めた」と言うか……?そればかりが心配で親子の別れの場面など到底想像はしていなかった。今は昔と違って住職(御上人)も身体の事を一番心配してくれるので助かります。まだまだ気力だけでは体がついて行かないと言われて時々は通院で北見に帰って来るので少し安心かも……
9月からは御上人と一緒に檀家さん回りをする予定です。10月には千葉の清澄寺に行く予定です。又何かある時には御知らせ致しますね。
まずはゆっくりと身体を休めて頭を整理して次に進んで下さいな。
北見も東京と同じく暑い夏でした(短いが)34.8まで上がったよ。多分、プーケットの方が涼しかったかもね。熱中症でだい分亡くなられた人がいました(過去最高)北海道ではないが……
朝夕は秋風みたいに涼しくなりました。

まずは体調を整えて下さいな
乱筆乱文にて失礼します。
母より

2007.8.30
PM10:35

ndl – dialy 01,Sep,2007

—–
この日記はアーティスト・イン・レジデンス”ndl”でプーケット滞在中に書かれたものです。
ndl
—–
成田に着く前、機内食を食べ終えて度々居眠りで中断しながらも『土佐日記』を読み終えた。紀貫之は京都の家へと着きその変貌ぶりに嘆いていたが、ボクは東京の家に着いたときは自分と彼とを重ね合わす余裕などなく、でもインターホンを押すときは緊張しているわけでもなく、余裕がなかったのは何が起こっても大丈夫なように何も想像しないようにしていたからだろう。
挨拶もほどほどに、ドアを開けてすぐにある階段を昇って、ブリ子と何を話せばいいのだろうかと考えながらまず部屋の様子をカメラで撮り、27日ぶりに入った自分の部屋にある彼女の荷物を眺める。ボクの記憶にないものが彼女の持ち物なのだろうが、全部が全部ボクのものではないような感覚もあり、たぶんボクはこのとき笑っていたと思うが、それはプーケット空港へ向かうまでの景色が思わせてきた、知りたいと思うことと家が繋がっている、という確信がより強くなりつつあったからだ。だから、ボクはブリ子がこの家で何をしていたのか、正直どうでもよくなっていた。たぶん、家のことは知りたいと思うことが不可能で、かつ、知ってしまったことを把握することも不可能なのだろう。それは転じて、知りたくないと思うことしかできず、かつ、知り終えることがないことを意味する。つまり、ブリ子がこの家で何をしていたのか、よりも、この家がブリ子に何をしたのか、のほうが考えていて今は楽しい。

居酒屋で彼女が話した彼女自身の過去は、彼女の人となりを一通り理解するには充分過ぎるもので、ボクはもう彼女のことを知らないと言うことはできない。でも、彼女にとって「東京の家」が何だったのかは未だ知りたいと思っていて、でも「東京の家」が彼女の家だったとき、家のことを知りたいと思うことは不可能なのだから、彼女は何も思えなかっただろう。望むべくは、「東京の家」が彼女の家ではなかった、ということだ。居酒屋から帰ってきたとき家の鍵は彼女が開けた。荷物を少し整理し、これが結論でよいのだろうか?と思いつつ、ボクは再び家を後にして自転車のペダルを踏んだが、うまく運転できない。サドルがブリ子仕様になっていた。

いつか友人が「家にいたら家のことは考えれないよ」と言ったことを思い出した。確か今年の春、恵比寿で飲んだ後、JRの改札に続くエスカレーターの前でそれを聞いたとき、ボクはなるほどと思いながらもわかっていなかったのかもしれない。思えば、荒川沿いを自転車で走り始めてから2日の昼に家に着くまでの間、日本に着きながらも家に帰れなかった時間が、家とは何かを考える最後のチャンスだったのだろうが、ボクは自転車に乗るのにホントに必死だった。一眼レフとラップトップが入ったリュックは、疲れた肩に食い込んできて、かといって自転車のカゴに入れると重さでハンドル操作が危うくなり、睡眠不足から出る脂と運動による汗が体中から出て、昨日の朝から着替えていない服も臭い出している。家を出る前、ボクの着ていたTシャツがいたく気に入ったようで、彼女は胸元にあるエルビスの刺繍を携帯で撮影した。待ち受けにする、と彼女は言った。

荒川の河川敷では花火をしている親子、薄い雲の間から見えている少しいびつになった月を見るために止まると、二人乗りをした高校生が追い越した。
西新井橋を渡る。橋の上ではなぜかいつも感じてしまう夜の明るさは、今日も同じ様に星を隠して、ボクはプーケットの星の事を想像する。それは想像で、たぶんボクは一度だってまともに夜空を見ようとしたことはなかった。ただ、月が出ていたのだけは覚えている。
知らない道に自転車を走らせてみた。工事で道が通行止めになっていてUターンしようと自転車を一度降りると、こちらを見ていた工事のおじさんが「自転車は通れるよ」と声をかけてくれ、狭い車道全面が掘られた上に渡された薄い板の上を渡ったら知ってる道に出た。ボクはコンビニで歯磨きセットを買い、ファミレスに入るが食欲はそんなになく、フルーツ杏仁を注文した。作られた甘みに懐かしさは感じない。
ボクはブリ子に、今日は友だちの家に泊まると言ったが、それはもちろん嘘で、ボクは最初から北千住を一晩放浪するつもりでいて、でも結局はネットカフェで3時間かけて3週間分のジャンプを読んでしまった。外に出ると、あたりは明るくなり始めていた。よく使う商店街も、別段懐かしさは感じず、ただここで朝日を見るのは初めてだった。もちろん太陽自体は建物に隠れ、見ることはできない。