怒っちゃいけないのは、例えば「こっちだって具合悪いのに朝から晩まで働いてて、かつ、連絡するの深夜になるからねと言ってあったのに、「もう寝ようと思ってたのにー」とか言って、あげく「やりかたわからないから寝ます」って、昨日教えたときにはメモもとらずに「わかりました」言っただろーが」というように、自分自身の能力と他人のそれを比較してしまうことで、できないもんはできないのだから、できるまで教えるか自分で勉強するまで待つか見放すか、どれかしかなくて、ボク自身の怒りはこの三つの選択肢から最も適切な一つを選ぶ判断を狂わせる。もっと正確に言うと、見放すことができたり待つことができれば簡単なんだけど、その二つの選択肢はなくって、今すぐにできるようになってやってもらわないといけないから、こっちも教えるために時間を使っているのに、そういう自覚がないところがまたむかついてしまって、疲れているときほどむかつきやすくなってるから注意しないといけない。
感情に基づいた言葉を使わない人と話すのは苦痛ですらあるが、ボクもそうであることが多くて、それは特に怒りとか悲しみとか嫉妬とか、特定の個人ないしグループに対する印象を悪くするような感情で、ボクはそういった感情とはできるだけ無縁でいたいから無視する。疲れたとか眠いとか、そういったものも無視する。嫌いなものが多くなることが個人にとってよくないだけならいいけれど、それは世界にとってよくないのだから、一つのことを恨んだり死んぢゃえとか消えちゃえとか、思うのが勝手だとは思えない。嫌いなものを嫌いであり続けようとする努力が多いほど、まだ会ってない遠いところにいる誰かが住む世界が離れて行く。感情の全てが、自分以外の何かを幸せにするための動機になり得ることが明解に説明されているものを見たことはないが、その実証になる生き方をしている人は少なからずいて、その人を尊敬するのではなくそうなりたいと思うわけでもなく、それが当たり前だろうと思ってしまうことは、どれだけ危ないことなのだろうか。



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