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サマーローカルホスト

Posted on 7月 30, 2007 in 日記, 日記とメモ

『クビキリサイクル』『クビシメロマンチスト』『クビツリハイスクール』がどれも推理小説として読む事が一応可能なのは、その後の『サイコロジカル』『ヒトクイマジカル』と比較するととてもよくわかって、それはストーリーを引っ張る要因が事件や事件の解決にとりあえずはなっているということと、必要なことを過不足なく、さらにウソつくことなく書いてるからだろうが、登場人物は推理に関係ないところでは平気でウソをつくので読んでいくうちに推理小説だという感じはしなくなり、というかそもそも推理小説だと期待して読んでいるわけではないが、推理小説としてボクは読む事は、何度読んでもできない。
一昨日から読み始めて三日で6冊は決して早くないが、ボクは西尾維新の戯言シリーズはリアルタイムでほぼ発売日に新刊で買って読んでいて、彼は『ヒトクイマジカル』あたりまではバシバシと書いていたようで、半年待たずに続編が出るというノベルスではあまりないテンポで進んではいたものの、二年で6冊と三日で6冊では情報の受け止め方が全然ちがって、それはストーリーをあらかじめ知っているからという理由とはたぶん違う、単純に自分への還元の仕方と関係するのだろう。

こんなことを考えて読む人は多くないだろうが、たぶん小説家は自作が人に及ぼす影響を当たり前のように考え続けて、必ずしもそれは実際とは一致しないし、書くうちに変わるものだったり、変わってからも考え続けるものなのだろうが、書いてる時から変わることを考える人はいるのだろうか。西尾維新のデビューは『クビキリサイクル』がメフィスト賞をとったからで、メフィスト賞は推理小説の賞だが、続編『クビシメロマンチスト』には現実には有り得ない運動能力をもった人物が登場するし、とはいっても具体的な行為の記述が少ないぶんその現実味はなく、ない分現実っぽいのだが『クビツリハイスクール』や『サイコロジカル』『ヒトクイマジカル』になると人間の描写がダメになっていく。正確にいうと、描写されるのが人間ではなく性格と内面ばかりになって、それも一人称での内面描写が多すぎて、そこはボクは読み飛ばしたくなる。正直、小説としての完成度は『クビシメロマンチスト』以降、どんどん落ちている気がする。西尾維新が今、戯言シリーズでなしたことをどう思っているか、ボクはその後の『新本格魔法少女りすか』はファウストでの連載以外は読んでいないし『刀語』も読んでいないから、わからない。

で、今回読んでいてひっかかってきたのは、『ヒトクイマジカル』内の「物語の外にいる」という、ある人物の立場についてで、ここでいう物語とは世界の因果のようなものだから小説や映画や演劇での物語とは違うのだけれど、ボクは読んでいるうちにそういった所謂物語や、物語の作者のことを考えていた。といっても、何を読んでもストーリーそのものよりも書く意味や主体の位置や主体に対する作者の位置など、そういったことを考えて、それでやっぱり日記のことも考える。日記に登場する「ボク」は、この日記の書き手とだいたい一致していて、一致していることは例えば詩を書くときと比べるとはっきりするのだけれど、何がずれているのかはまだよくわからない。じゃぁ、この日記の書き手の立場を「物語の外にいる」かというと、いないのだが、どうやったら「外にいる」状態で日記を書けるのだろうか。

サマーローカルホスト、という言葉を夕飯を買いに行ったコンビニの帰りに思いついた。ローカルホストはネットへの仲介となるリモートホストに対して、今現在使用しているシステムを指す。もちろん、タイのことを考えていたから思いついたのだが、タイでのボクはゲストなのかホストなのか、よくわからない。少なくとも、タイにいたとしてもこの部屋にとってのホストはボクなのだろうが、それもあまり自信はないし、誰かがホストになればいいとも思っている。じゃないと物語の外を作る事はできない。外ができたとして、ボクが外に行く事ができるかどうかは難しいところだ。
サマーローカルホスト。サマーローカルホストはいい言葉だ。たぶん最高にいい言葉だ。いい言葉は決してなくならない。
春日井春日のセリフにあててみた。これは『シーシャンクの空に』からが元ネタのようだが、ボクはその映画を見た事はない。

で、タイのことを書く理由をそういえばまだ書いていない。8月6日から9月1日までタイに行きます。撮影しに、日記を書きに、話をしに、やらなければならないことも色々あるし、やりたいこともいろいろあるのだが、どんな場所なのかは一向に想像つかない。何を想像したら想像したことになるかが、よくわからないからだ。

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