無形物の触感

幸せって、人の状態を表す言葉だったはずなんだけど、少なくとも前は自分ではそう思ってたんだけど、今は人の状態じゃなくって、もっと違う何かの状態を指す言葉のような気がしてならない、っていう話を、8月2日に行う”もび”のワークショップについての相談を友達としているときにしてて、その子には「何か」っていうが何なのかはまだわからなくって、そういうことが今自分のテーマになってきているということを言ったのだけど、今ここでその「何か」っていうのを一度言語化しておくのはいいことかもしれないし、その電話の中でボク自信が何度も彼女にいったように、「ない」は「ある」を経由してからじゃないと考えられないし、「ある」は「ない」への可能性を開くから、幸せっていうのは人の状態を指すことばなんじゃなくて、人と人の間とか人とモノの間の性質のことで、さらに言うと、この間っていうのは「関係性」っていうことではなくて、「潜在能力」というようなことだ、と言い切ってみることにしたんだけど、そう言い切ろうと思った理由の一つに、上に書いた「ある」と「ない」のこと以外に、dispositionという概念のことがあって、この言葉はこないだの引越しパーティのときにT2から初めて聞いて、でもそのときはdispositionの概念は全然理解できてなくて、むしろ、T1が言った「わからないことを、わからない方法で解決する感じ」という言葉と強く結びついて、かつ、それは『プーケット日記』のことを説明するのにぴったりだとも思って、ボクは『プーケット日記』の次の作品のために最近SFを勉強しているのだけど、勉強というか歴史をたどってみてるのだけど、それは「全員が幸せでいられる社会」を達成するのにはどうしたらいいのかという問いがあって、それに対して「そういう社会を想像したり創作したものはないのか」と調べ始めたときにトマス・モアの『ユートピア』を祖先とするユートピア文学の系譜をたどり始めて、それはH・G・ウェルズの『タイムマシン』を祖とする未来の社会を想像する系のSFに吸収されていったことがわかったからで、
いま、「幸せは関係の性質だ」と言い切ろうと思った理由であるdispositionと、
そのdispositionと結びついて記憶されている「わからないことを、わからないまま解決する」ことと、
それが『プーケット日記』で達成したかもしれないっていうことと、
「全員が幸せでいられる社会を想像すること」が『プーケット日記』の次になされるべきことだと感じていることと、
その想像力がSFというジャンルの中に見出されるっぽいってこと
が、
ぐっちゃぐちゃになってきていてあと3つぐらいファクターが増えるとめちゃくちゃになって、作品を作り始める土台が整うような気がした今夜、ボクは電話をくれた彼女に感謝するだろう。

彼女の悩みを整理し彼女の次にやるべきことをボクの論理の中で導きだすことで、ボクはたくさんいいことを言ったし、いいことを思いついた。いいことを言ったっていうのはほとんど当たり前のことばっかりだったんだけど、例えば「ルールっていうのは自由を制限するためにあるんだから、「自由にやって」っていうのはルールじゃない」とか、「見ておもしろいっていうのと見た後にやりたいって思うのは全然別のことだ」とか、「曖昧なことは曖昧であるしかなくて、それを明確にするのは大変だけれど、明確なことは明確なままにすることもできるし比較的容易に曖昧にもできる」とか、「感じることと思うことと考えることをごっちゃにしたら伝わらない」とか、最後のだけ補足すると、これは純粋に言葉のテクニックの問題で、感じるとか思うとか考えるっていう言葉って人それぞれ解釈や使い分け方が違うけど、感じる・思うより考えるのほうが理性的・客観的な意味合いが強くなるっていうのはだいたいの人が共有していることで、だから理性的でも客観的でも論理的もないことを述べる際に「〜〜って考えました」っていうと、「それは考えてない」とか「ダメだ」とか、そういうことになるから、「感じました・思いました」って言葉を使った方が、意味としては同じでもコミュニケーションがとりやすいっていうことなんですが、実際自分はそこまで使い分けてもないなと書いていて「思った」。

というのは、正しい「思った」の使い方。感じる・思う・考えるっていうのは三つ別個のことではなくって、脳みその一つの動きを三種類の言い方で言い得る、と行ってしまうと即物的すぎるけれど、心という言葉は使いたくない。幸せが関係の性質だとすると、心もまたそうであると考え得るから、ボクには心はなくってボクと何かの関係の性質が心なのだ。

「窓」のことを思い出してきた。以前、かなり似たようなことを「窓」って言葉で言おうとしたような気がする。それは、秩序ある構造体の個々のパーツの関係を、建築を比喩に言語化したときに生まれたはずなんだけど、どういう文脈だったかはわすれてしまった。

アートとして考えられていないことをアートとして作ることでアーティストになろうとしている人が、アートとして考えられていないことをアートとして認めさせるために、アーティストになる前にできることを、アートにしようと思う。

↑今後の戦略だよ。

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