となりにはフランス人がいた

この日記は昨日の夕方書いたのだけれどアップするのを忘れていた。

結局、つくばエクスプレスではなく東武鉄道を使って浅草まで行った。家を出て自転車で学校に向かうまで、学校にカメラをおいていたし自転車置き場でもあるからよらなければならなかったのだが、ついた頃には汗だくになっていて、でもこれは自転車の運動のせいではない。自転車で疲れてしまうのがイヤだからボクは本当にのろのろと運転していて、よく後ろから抜かれるし、物思いに耽って信号が青になったのに気づかないこともあって、そんなだから自転車に乗ってペダルを踏むので疲れることはないのだが、今日はとにかく日差しも強いし湿気もあって、学校で一休みしたら時間がなくなったからあげまんじゅうはおあづけにして、そのかわり終わった後にスタバに行こう、しかもスタバで文章なんぞ書いてみようと思って、東武鉄道に乗った。浅草には銀座線・浅草線・東武伊勢崎線といろいろ通っているが、つくばエクスプレスは少し離れた国際通りの方にあるから吾妻橋の方に行くのに時間がかかるし、地下深くにホームがあるから地上にでるまでも時間がかかる。浅草はまだいいほうで、秋葉原の駅はすごく深く、地上にでるまでが大変で、でもやっぱり電車自体の速度は速い。伊勢崎線は入り口が吾妻橋の目の前なので使いやすいのだが、そのかわり電車が遅く、ルートも違うし止まる駅も多いのだから電車の速度のせいではないかもしれないが、とにかくつくばエクスプレスの倍くらい時間がかかるっぽい。

一脚は活躍してくれた。水上バスの中での撮影は足場がゆれるし観客の中で動きながら撮るので、カメラにとってのベストポジションを見つけるのも大変だし、そこに居れないことも多い。観客の邪魔になってしまってはいけないので、しゃがんで隠れつつ低いところから仰ぐように撮るのだが、ボクはこういう画が嫌いで、というの立っている人の表情がよく見えないし動きも誇張されてしまうからなのだが、これは意図的にやるのならばともかく、ダンスの記録としてはあまりよろしくないと思って、結果、一脚を使ってみた。しゃがんで片膝をつき、カメラのグリップに手をいれて、頭の位置までカメラを持ち上げて撮影できれば良いのだが、左手はズームとフォーカスとアイリスを動かしているから支えるために使うことはあまりでいなく、右腕一本で支えているとボクの腕力では数分で力つき、大抵は立てた片膝の上にカメラを置いて撮影するが、一脚をあらかじめしゃがんだときの頭の高さにしておくと、腕の代わりに一脚が支えてくれるからちゃんと撮れる。立ったときはグリップの代わりに一脚を持つこともできるから、高いところからも撮りやすい。が問題は休憩時間で、一脚だけでは自立してくれないし、カメラを横にして地面におくわけにはいかないから、ジュースを買うときもたばこをすうときもジュースを飲むときも常にカメラを持っていなければならなく、でもこれは後から一脚をカメラからはずせばいいことだと気がついた。ということで今度はシューのついた雲台が欲しくなって、こうしてお金はなくなっていきます。
液晶をみながら水上バスの一階をなめるように撮影していると、知った顔があり、最初はよく似た人かと思ったらその人の隣にも知った顔があったので液晶から目を離しみてみると本当に知った顔だった。向こうは向こうで、似た人がいるなぁと思っていたらしく、お互い気がついたときは「やっぱり」というか「なんで」というか不思議な間が流れつつ、ボクはそのとき「また会ってしまった」と思い、それは数日前にその二人を交えて食事をしたときにタイに行くからしばらく会えないがそのつもりでよろしくと言っていたからで、友だちに偶然会っただけのことがなんだか自分がウソをついてしまったかのような、ちょっとした罪悪感や居心地の悪さがあった。

打ち上げには行かず、これから家に帰って荷物をまとめてみるつもりだが、その前に今日は洗濯をしなければならない。じゃないと持っていく衣類が少ない。今日もきっと布団では寝ないだろう。寝るかもしれないが、明け方になるだろう。英語の字幕をつける作業は初めてではないが初めての方法でやってみようとしていて、慣れたらそのほうが効率よいのは確かなのだがまだ慣れていない。半年近く前の舞台を未だに編集していると、なにが本当に行われたことなのかわからなくなってきてしまったが、それには別に居心地が悪い感じはしなく、ただ一緒に作った人たちと話すときに、その人と舞台との距離感と自分と舞台との距離感の違いにとまどってしまうくらいで、これはおもしろい。
ところで、スタバには結局行かずに、リュックに入れていた小島信夫の短編集を読もうと思い、それじゃたばこが吸えるところにしようと今はエクセルシオールにいる。『月光・暮坂』の中の「月光」で、西田天香という人が言った赤ん坊になったような気分で街頭で泣く、というのが自分の中でタイに居るであろう自分と重なってくる。最後は小島信夫と一緒に仕事をした記者からの手紙で終わっていて、だがそれは小島信夫の記憶の中にあるで、この点をぬかりなく彼は書いてしまっているのだが、手紙で終わるのは「月光」の前の「返信」という短編も同じで、しかも「返信」という作品はその手紙への返信として書かれたことが一番最後に一文だけ書かれていて、ボクはこれを読んだときにすこし鳥肌がたった。彼の小説を数作だけだが読んでみてわかっていたものの、生活と作ることがここまで一致している上に引用は記憶からされるからずいぶんと恣意的で、なのに彼自身よりも周りのほうが見えるという状態は、今のボクにとって一つの理想ですらある。

この短編集をタイに持っていくかどうか、迷っている。もひとつ持っていく本の候補としてジャック・フィニィの『レベル3』があって、これも短編集だけれどまだ買っていない。

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