ndl – dialy 21,Aug,2007

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この日記はアーティスト・イン・レジデンス”ndl”でプーケット滞在中に書かれたものです。
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大荷物を持ったまま徒歩で移動した先は大学の目の前にあるすでに馴染みになっている食堂で、四人それぞれの荷物を二つ並んだテーブルの片方に置いてそれぞれ好きな物を頼んだが、ボクが頼んだのは何度も食べているパッタイとアップルスムージーで、朝から間欠的に雨が降って冷たく湿った風が吹く中スムージーを飲むと肌寒いくらいで、プレゼンを終えた開放感はまだ感じていなく、アパートまでの短い道中、バナナやココナッツがなっている白い空を見上げて四人で笑っているときも、早く荷物を置きたい、甘いものが食べたい、コーヒーが飲みたい、眠りたい、といった欲求と疲労が先立ってあり、解放されたと感じたのはベッドに足を投げて部屋で話す三人の姿を二日ぶりに持つカメラに収めたときだった。

昨日のndl talkを終えてから何か内容を変えるべきか悩んだが、今日の大学でのndl talkは結局全ていつも通りにやって、でも説明する順序と言い回しをかなり変えたところ、今日はそれなりにうまくいったのではないかと思う。とにかく伝えるのに手間取っていたのは「ここ」という概念についてで、プレゼンでは45分くらいで4つの作品を説明したのだが、そのうち「ここ」のことが含まれる《measure here》という作品が一番時間も使うし、やってて反応がいままでは薄く、だから今日は「ここ」のことを説明するときにできるだけ体を使って、例えば聞いている学生に極端に近づいてみたり遠ざかってみたりして、いかに人間が自然な距離を無意識に選んでいるのかということをいままでのプレゼンの内容に加えて説明したところ、なんとなく「ここ」の不思議さに近づけたのかもしれないが、「ここ」という言葉はプレゼンの中で一度も使わなかった。

ここはプーケットだ。来て15日が過ぎ、今日は16日目でボクはすでに13の日記を書いてるが、ndlのサイトで公開されるのは今日の日記が一つめで、それにはちゃんとした理由があって、それを書く前にボクが今とても興奮して感動している理由を書くが、その二つの理由はほとんど同じだ。8月17日、ボクはプーケットを旅立った。その日の日記で、ボクはこう書いている。
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一日部屋で寝ていたときの時間の欠落感は、プーケットのアパートと東京の家の記憶をぐちゃぐちゃにしてしまって、病床、バンコクに行かなければならない、バンコクに行くことが必要なんだとがんばって寝ようとしながら、家の対概念は旅行なのかもしれないと考えていた。(中略)そこで、バンコクに行くのは家から旅行するようなものなのかというと、全然そういうわけではない。プーケットで会っていた面子がバンコクに沢山いるし、出かけるまでの道々はやっぱり見慣れた景色とは言いがたいし、
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18日の夜以来、この部屋は以前のような滞在先である以上にボクの家に確かになっていて、ボクはこの部屋を所有しているわけでもないし家賃を払ってもないが、確かに自分の家にいるという感覚ははっきりと、ある。じゃあ東京の家はボクにとってどうなのかというと、それがついさっきまでわからなかったのだが、今はこれから次第にわかってくるだとうという確信があって、その確信を与えてくれたのは今そこに住んでいる一人の女の子だ。ボクは彼女に会った事がない。彼女はボクの家に住んでいる。ボクはここに住んでいる。ここはボクの家だ。彼女が住んでいるのは、どこだ?

これから12日間、彼女はボクと同じ様に日記を書く。また、タイで知り合った一人の男の子も日記を書く。ボクの日記と合わせて、12日分の3人の日記が、ボクがこのレジデンスプログラムで作る作品で、12日目の夜、ボクが東京で書く日記で彼女がどこに住んでいたのかはっきりとするかもしれない。言い訳ではないが、しかしながら、はっきりしなくてもまたいい。どこに彼女が住んでいるのかはっきりしたときは同時に、ボクがどこに住んでいるのかわからなくなる時でもあるような気がする。

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