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この日記はアーティスト・イン・レジデンス”ndl”でプーケット滞在中に書かれたものです。
ndl
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アパートの一階にはいくつかお店が並んでいる。向かって左からアパートの入り口、婦人服屋、ネットカフェ、食堂、薬屋、シャッターが降りていて何かわからないスペース、セブンイレブンで、おそらく間口はセブンイレブンを除いてどれも一緒、セブンだけが少し広く、セブンの横の車道にはいくつか屋台が並んでいる。果物屋台、焼き鳥・辛そうなフライドチキン・揚げバナナなど揚げ物系の屋台、ヌードル屋台、の三つがいつも並んでいて、通りの反対側には夜だけウインナー屋台がでて、この中でもっともお世話になっているのがヌードル屋台。今日で三夜連続、おじさんとのやりとりはいつも四種類ある麺を指差し「ニー、ヌン」と言うだけだが、彼はもうボクの顔を覚えているようで、「ニー」と指差すときにはどれを指差すのかわかるように麺が並んで入っているボックスの中を屈んで覗く。四つ並んだプラスチック製のテーブルの上には、唐辛子・砂糖・唐辛子を漬けた酢のようなもの・ピーナッツの四種類の調味料が入った容器とナンプラーのボトルが置いてあり、ボクは酢のようなもの以外の全てを少しずつ入れるが、一番始めに行ったときに屋台のおばさんに「あなた好みの味にして下さい」と頼んでしてもらったことがあり、そのアレンジから砂糖を少なめにしてピーナッツを多く入れるといつもスープまで全部飲んでしまうくらいボク好みの味になって、これで25バーツなのだから毎夜夜食に食べに行ってしまうのだが、今日は夜食ではなくこれが夕食だった。
『土佐日記』を少しづつ読み進める。
くもゝみなゝみとぞみゆるあまもがないづれかうみとゝいてしるべく
十三日と書いて「とをかあまりみか」と読み、これは承平5年、西暦935年1月13日のことで、その日の日記の中に書かれている歌だが漢字を使うと「雲もみな波とぞ見ゆるあまもがないづれか海と問いて知るべく」となる。あまにも漢字を当てると海女になるが、これは今の海女とは違い漁師一般のことを指すから、空の白雲は全部海に立つ白波のように見えるがどちらか海か質問して答えてもらうために漁師でもいたらいいのになぁ、という現代語訳になるようで、その他にも「照る月の流るゝ見ればあまのがはいづるみなとは海にざりける」などなど海と空とを対比・並列させている歌や記述が多く、これは土佐から都へ戻る道のほとんどが航路だったせいもあるだろうが、この日記を読んでいると昨日のパトンビーチの太陽が思い出されて、しかし、紀貫之一行が西と東を知るのは、とをかあまりひとひの日記に「人みなまだ寝たれば、海の有様もみえず。たゞ月をみてぞ、西ひむがしをば知りける。」とあるように、太陽からではなく月からだった。そういえばタイに来てから月も星も見ていない。
それにしても、タイに来る数日前、北千住ルミネの本屋で岩波文庫の棚の前に立ち黄帯の中から日記が着くものを全て抜いて『レベル3』と一緒にレジに持って行ったときには、プーケットで読もうと本気で思っていた訳ではなく、ただそれらの本を持って行ったという事実があればそれでいいと思っていて、でもいざ『土佐日記』を読み始めると、これは日本の日記文学の中では最も古いもので、かつ仮名文字を使い主体を女性にしているなど、いろいろ革命的なものだったらしいが、古文で読みにくいということを差し置いても実におもしろい。BicCで買ったタイ語勉強のためのノートには、まだ一語も書いていない。
リュックにPD-170という大きいビデオカメラを入れ、一眼レフを肩がけにしたときにはこの重量で果たして何時間撮影を続けられるかと少し心配したが、モトに乗って10分、パトンビーチに行く道を適当に左に折れて着いた舗装されていない通りには3階建て長屋のような建物が並び、プーケットタウンの街中はともかく地元の人々が住んでいるのは平屋が多かったから、そこは高級住宅街のようなものかと一瞬思い、でも次の角を鋭角に曲がりその建物の裏にある通りに入ると、やはり平屋が並ぶ小さな住宅街で、そこで2時間ばかり撮影していたが重量は問題にはならなかった。
PDに一脚とマイクのショックマウントをつけ、ウインドジャマーとつけたゴツいマイクを入れるとかなりの大きさになり、頭の高さまで持ち上げファインダーをのぞくといかにも撮影していますといった装いになる。小型カメラも持ってきてはいるから、そっちのほうが疲れないし隠れて撮るのは適しているが、堂々と撮るなら大きなカメラの大きなレンズを堂々と向けた方が、撮られるほうもあきらめがつくものだ。子供たちはやはり物珍しいのか、逃げることはなくむしろ向かってくる。ティービーティービー?No, I’m a Japanese artist, I make film. ??? Japan, ヤップンヤップン。オーニッポンニッポン、ハローニッポン。ポンチュースド。オースド、ニッポン。歩いて子供に会い、このやりとりをして別れ、また違う子供に会って説明し、そこに前に会った子供が合流し、別れ、違う子供に会い説明し、とそれの繰り返しの2時間だったが、子供に限らず大人たちも興味を示して寄ってきて、臆する事なくレンズを見つめる。ボクと彼らのやりとりを外から見つめると、それは土着の生活見たさに迷い込んだ旅行者がもたらした非日常、というありきたりの風景に過ぎないのかもしれないが、彼らと会うのは楽しかった。その楽しさは、見た事のない新しいものを見た、というような楽しさではない。ボクの後ろを着いて来た太った男の子は、最後わかれる際に「マニー」と言った。ボクと彼らが出来るのは理解し合うことでは絶対にない、では、理解し合えないことを露呈し続けるしかないのかというと、それでは寂しすぎやしないか。
10分ほど、閉まった薬局前の椅子に座りカップアイスを食べていると「よ」さんがやってきた。ボクの部屋でブリ子へのメッセージを撮影し終えた彼女もアイスを買って、彼女が食べている間、ボクはしばらく何も話さずにタバコを吸ってぼんやりしていた。夕食時、プラスチック製の椅子に座ってヌードルを食べながら、明日から食べれなくなることが悲しいと彼女は言った。ピーナッツがとても合うことを知ったのは今日だった。彼女は明日、バンコクへ飛ぶ。帰国するわけではなく、バンコクにしばらく滞在するか他の都市を見るかして、その後シンガポールに渡り、帰国はボクよりも遅く上海経由だという。ボクは帰国するまで彼女が撮ったブリ子へのメッセージは見ないと決めた。ブリ子からはメールが来た。いつも洗濯物をどこに干しているのか、ゴミの収集日はいつか、二つの質問に答える際否応なく思い出される東京の家は、頭の中、細部まで旅立ったときのまま、ある。



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