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ndl – dialy 01,Sep,2007

Posted on 9月 1, 2007 in ndl, 日記, 日記とメモ

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この日記はアーティスト・イン・レジデンス”ndl”でプーケット滞在中に書かれたものです。
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成田に着く前、機内食を食べ終えて度々居眠りで中断しながらも『土佐日記』を読み終えた。紀貫之は京都の家へと着きその変貌ぶりに嘆いていたが、ボクは東京の家に着いたときは自分と彼とを重ね合わす余裕などなく、でもインターホンを押すときは緊張しているわけでもなく、余裕がなかったのは何が起こっても大丈夫なように何も想像しないようにしていたからだろう。
挨拶もほどほどに、ドアを開けてすぐにある階段を昇って、ブリ子と何を話せばいいのだろうかと考えながらまず部屋の様子をカメラで撮り、27日ぶりに入った自分の部屋にある彼女の荷物を眺める。ボクの記憶にないものが彼女の持ち物なのだろうが、全部が全部ボクのものではないような感覚もあり、たぶんボクはこのとき笑っていたと思うが、それはプーケット空港へ向かうまでの景色が思わせてきた、知りたいと思うことと家が繋がっている、という確信がより強くなりつつあったからだ。だから、ボクはブリ子がこの家で何をしていたのか、正直どうでもよくなっていた。たぶん、家のことは知りたいと思うことが不可能で、かつ、知ってしまったことを把握することも不可能なのだろう。それは転じて、知りたくないと思うことしかできず、かつ、知り終えることがないことを意味する。つまり、ブリ子がこの家で何をしていたのか、よりも、この家がブリ子に何をしたのか、のほうが考えていて今は楽しい。

居酒屋で彼女が話した彼女自身の過去は、彼女の人となりを一通り理解するには充分過ぎるもので、ボクはもう彼女のことを知らないと言うことはできない。でも、彼女にとって「東京の家」が何だったのかは未だ知りたいと思っていて、でも「東京の家」が彼女の家だったとき、家のことを知りたいと思うことは不可能なのだから、彼女は何も思えなかっただろう。望むべくは、「東京の家」が彼女の家ではなかった、ということだ。居酒屋から帰ってきたとき家の鍵は彼女が開けた。荷物を少し整理し、これが結論でよいのだろうか?と思いつつ、ボクは再び家を後にして自転車のペダルを踏んだが、うまく運転できない。サドルがブリ子仕様になっていた。

いつか友人が「家にいたら家のことは考えれないよ」と言ったことを思い出した。確か今年の春、恵比寿で飲んだ後、JRの改札に続くエスカレーターの前でそれを聞いたとき、ボクはなるほどと思いながらもわかっていなかったのかもしれない。思えば、荒川沿いを自転車で走り始めてから2日の昼に家に着くまでの間、日本に着きながらも家に帰れなかった時間が、家とは何かを考える最後のチャンスだったのだろうが、ボクは自転車に乗るのにホントに必死だった。一眼レフとラップトップが入ったリュックは、疲れた肩に食い込んできて、かといって自転車のカゴに入れると重さでハンドル操作が危うくなり、睡眠不足から出る脂と運動による汗が体中から出て、昨日の朝から着替えていない服も臭い出している。家を出る前、ボクの着ていたTシャツがいたく気に入ったようで、彼女は胸元にあるエルビスの刺繍を携帯で撮影した。待ち受けにする、と彼女は言った。

荒川の河川敷では花火をしている親子、薄い雲の間から見えている少しいびつになった月を見るために止まると、二人乗りをした高校生が追い越した。
西新井橋を渡る。橋の上ではなぜかいつも感じてしまう夜の明るさは、今日も同じ様に星を隠して、ボクはプーケットの星の事を想像する。それは想像で、たぶんボクは一度だってまともに夜空を見ようとしたことはなかった。ただ、月が出ていたのだけは覚えている。
知らない道に自転車を走らせてみた。工事で道が通行止めになっていてUターンしようと自転車を一度降りると、こちらを見ていた工事のおじさんが「自転車は通れるよ」と声をかけてくれ、狭い車道全面が掘られた上に渡された薄い板の上を渡ったら知ってる道に出た。ボクはコンビニで歯磨きセットを買い、ファミレスに入るが食欲はそんなになく、フルーツ杏仁を注文した。作られた甘みに懐かしさは感じない。
ボクはブリ子に、今日は友だちの家に泊まると言ったが、それはもちろん嘘で、ボクは最初から北千住を一晩放浪するつもりでいて、でも結局はネットカフェで3時間かけて3週間分のジャンプを読んでしまった。外に出ると、あたりは明るくなり始めていた。よく使う商店街も、別段懐かしさは感じず、ただここで朝日を見るのは初めてだった。もちろん太陽自体は建物に隠れ、見ることはできない。

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