青ノ言ノ葉

一昨日くらいから続く頭の鈍痛は今日も直らず、大変申し訳ないのだけれど、電話恐怖を堪えて電話にでる勇気がなくて、何度かあった着信を無視してしまって、でもインターホンは別に怖くなく、出ると昨日の夜中にamazonで注文した本を届けにきた宅急便のおじさんだった。

いま、となりの部屋からドンドンという音がした。毎日、今時分になるとドアを叩くような音がして、そのあとガチャっとドアを開けるような音がするから、やはりその音はノックの音なのだろうが、夜中にゴミを出した後自分の部屋に入った瞬間、その音が聞こえてきたことが一度あって、となりの部屋のドアをノックする音だったら近くから聞こえてきたはずだが、それはどこか遠く上のほうから鳴っているようだった。
『空間の経験』のなかにシベリアの民族の話がのっている。位置の指示詞が九つもあるという話で、その九つが紹介されているわけではないが、日本語では「ここ」「そこ」「あそこ」としか言えないようなことをチュチク語ではさらに細かく言うわけで、その感覚が全く想像できずに本を閉じてこれを書きはじめた。チェチク語は、wikipedia調べでは、チェチク半島やカムチャッカ半島で使われていた言葉で、話者は数千人以下、他のいくつかの語族と合わせて古シベリア諸語だとか古アジア諸語とまとめられるが、アイヌ語を含めることもあるらしく、思えばアイヌの世界観が難解なのは空間の認識の違いで説明できることが多い気がするのだけど、アイヌ語の位置の指示詞を調べたことはない。こないだ撮影したミクニヤナイハラプロジェクトの『青ノ鳥』の終盤、昼行性と夜行性の種の活動時間が重なり合う動物と違い、昆虫類にはどの種も活動しない空白の時間がある、といった話があって、それが本当かどうかアフタートークで矢内原さんが話していたと思うのだが思い出せない。その空白の時間は「青の時間」と呼ばれていて、その由来も思い出せない。というか話していなかったかもしれない。幾度も日記で書いているけれど青は古来白と黒の間の色を広く指す言葉だったという説があって、それは青が間の色だからだ。青の音は仰ぐから来ている。空の青が間を指すのは、なんとなく想像できるし、昼と夜の間、夕焼けの時間を赤でもオレンジでもなく「青の時間」とするのもすんなり納得ができて、じゃぁ青の場所はなんだというと、沖縄では隣の村、もしくはあの世のことを指す、と読んだのはどこでだったか、これも思い出せないが、青の場所をあの世とするのはアイヌも同じで、そこから琉球語とアイヌ語の類似点を示して縄文語の存在を実証するような話につながっていったはずだ。でも古シベリア語族に含められることもあるというのなら、アイヌ語は、京を中心に伝播した大和言葉に追い出されていった縄文後とシベリア語族がぶつかった青の言葉と言えるかもしれない。「ここ」「そこ」「あそこ」では言い表すことが不十分な空間は、距離が違うのではなく、位相や時間が違うのかもしれない。

北海道人がアイヌのことを何か知っているかといったら大間違いだが、たぶん小学生くらいのこと、網走刑務所の見学に行ったときに立ち寄った貝塚が、今日はやけに思い出された。オホーツクの貝塚は別に有名でもないし、貝塚は日本各地、たぶん世界各地にあるはずで、ただ気になったのはバシュラールが貝を家の象徴としていたからだ。網走刑務所と言えば、牢に入っている人形の顔が父親によく似ていたことも覚えている。姉だったか母だったか、父は昔ここにいたと言って、ボクはそれを半分冗談に受け止めていた。ウソかホントか、その後聞いた覚えはないが、ウソなんだと思う。

The are no comments posted for this entry. Be the first to comment!

Leave a Reply

コメントリンクを nofollow free に設定することも出来ます。