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『ブ、ブルー』予告動画、撮影メモ

Posted on 2月 13, 2009 in 映像のこと, 編集のこと

先日このブログにも貼った『ブ、ブルー』の予告の作成メモ。

公演の予告を、稽古風景を使って作成するというのは最初から決まっていて、ほとんどの稽古に参加。するものの、何を撮るべきかの判断が難しい。
最終的にどこかで公開すら、そしてそれが恐らく館内とウェブであることから、5分前後のものになるんだろうなと考えてはいたものの、会話を分割して聞くと意味が分からなくなるのも容易に予想され、でも動きばかりだとネタばれも多いし、稽古時の動きは必ずしも本意気ではないし、

何かサブテキストがあればいいんじゃね?

と思って古川さん書き下ろしの小説を読み込んでみる。勢い、断定、叫び、暴力、の中に複雑にキーワードが散りばめられていて、かつ、反響する。
「反響する」というのは予告動画の一部で古川さんが朗読しているけれど、この構成はまさに反響で、小説そのものも公演も反響で、ボクも反響したくなる。

でもサブテキストにするには複雑すぎて、ネタばれも多くなっちゃうんじゃないか?

結局、いつものクセで音楽に飛びつく。音楽があると編集はすごく楽。曲のもっているリズムと構成はビデオの土台になるし、雰囲気は素材選びの基準になる。つまりボクは選ぶのが大変なくらいたくさん撮って、しかもだいたい全部使えそうな素材で、それらを使ってゼロから何かを作ることは放棄してしまったということなのかもしれない!

ドキュメンタリーの撮影は大変だ。動かないこととに体力を消費し、いかに静かに動くか悩み、過去に撮ったものと今撮っているものの関係を想像し、そしてそれらは自分自身の表現であることなしに、必然性を必要とする。でもきっと、予告動画を見たボクの友人らは、それを「スドコっぽい」と思うのだろう。

ドキュメンタリーにするまでもない日常をドキュメンタリーと呼び得ない視点で撮るトモダチ、彼はAだが、Aにはしばらく会っていない。自分自身の表現であってはならないことに何の抵抗もなくなり、さらに自分の作品を作りたいという欲が全くない場合、カメラマンさんはもうただのカメラマンさんにしかなれなくなってしまう。ただのカメラマンさんはわかりやすい存在だ。ここらへんについて、Aと一晩くらい話したい。

久しぶりだねA、元気みたいだね、ずいぶんがんばってるっぽいけどスドコもがんばってこういうのを作ったよ。見る?(iPodを取り出して見せる)「うわー、なんか、あー、オレこういうの、すげぇな、」ここの焼き鳥はうまいな「いや、エラいと思うよ」ありがとう。

で、話はもどるけれど撮影のときに大変だったのは音声とフォーカス。
撮影クルーなんていないので音声はもちろんガンマイクをカメラに固定してだけど、レベルをとるのが難しいのと、レンズの向きとガンマイクの向きが一緒にしかならないのが、とっても不便。
というのも、ボクはしゃべっている人を撮るのが苦手で、というか聞いている人を撮るのが好きで、なぜならそのほうが表情が豊か、かつ冷静に話を聞けるから。被写体がしゃべっていると、どうしても被写体に感情移入しやすくなる。それがスイッチすることで、視聴者はその感情移入のスイッチに遊ばれて、感情の起伏しか感じられなくなりがち。これは一般論ではなくて、ボクが考えていることだけど、被写体が聞いている人だと、その感情のスイッチに巻き込まれないですむ編集の可能性が大きくなる気がする。

フォーカスもシビア。というか、Canon XH-A1をつかっているんだけど、フォーカスポイントがよくわからない。背景にピントが合いやすい。たぶんビデオカメラのフォーカスは一眼レフのそれとは全然違うのだろうけど、ボクは一眼レフのほうに慣れすぎてしまったのかもしれない。予告動画内でも、一部フォーカスが甘いところがあったり、途中で背景に移ってしまったりするところがあって、でもその素材を必要な構成にしてしまったから使わざるを得なかったのです。あと、斜めのときに弱いね。被写体の奥に背景があるんじゃなく、斜めになってるとき。描写は好きなんだけど。

ここまで書いて思ったんだけど、学生の時、社会のことなんて何にも考えず自分の表現欲にだけ基づいてなんやかんや4年間過ごします、っていうのはすごくいいことなのかもしれない。編集の基礎やアプリケーションの使い方や映像の仕様なんかを知らないと仕事できないのは確かだけど、撮影の仕事でぶつかるのはそういうところじゃなくって、いかに被写体を表現するか、ということで、自分のたかがしれてる自意識すら表現できない人に他人様の見えにくい何か不可思議なものを可視化することなんてムリっぽい、って思う。しかも、ただのカメラマンさんじゃなくなくなるには、「あの人にしか撮れない」みたいなことになるには、その他人様の云々に加えてオレだから見えるアノ人のアレとか、アノ人の中に垣間見えるオレ、みたいなことになっていって、しかもボクはそんなことにはなりたくない。

ねぇ、A、困ってんだよ。ボクはこれから先どういうことになっていくか、簡単に予想できちゃって、それを裏切るボク、みたいなのがない感じにこの先なってきちゃうんじゃないかと思って、現実にそうなりつつあって、現実なんてもっとヒドくて、環境とか会社とかそういうのが悪いんじゃなくって、自分が自分に対してヒドいんだよ?ボクはもっとボクを愛さないとダメなんじゃないか?
「あー、好きな人いる?」

、、、、、、、、、はっ!!

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